登城日:2016年9月4日
今回のお城は、和歌山県和歌山市にある和歌山城です。
江戸時代、徳川幕府を支える御三家の一角を担った、紀州徳川家の居城として知られていますね。
7時半に家を出発しました。JR京都線で大阪駅まで出て、そこから環状線→阪和線と乗り換えていって…9時40分には、JR和歌山駅に到着です。
駅には、こんな看板が。人気ゲーム『戦国BASARA』とコラボレーションしたイベントを実施しているのですね(^_^)
JR和歌山駅の西口を出ると、まっすぐ西に向かって、けやき大通りが伸びています。けやき大通りは、街のメインストリートのようですね。
とても広いし、木々の緑が気持ちいいです。
西に向かって歩き続けること20分。
見えてきました、和歌山城の石垣が!お堀も立派です(^_^)
ここは、お城の北東部にある大手門(おおてもん)。大手門と言うと、お城の正面入口のことですね。名門・御三家の居城の正面入口にしては、小振りな印象?
大手門は、明治時代に倒壊してしまいますが、昭和57(1982)年に再建されました。
また、手前に架かる橋は、一の橋と言います。
大手門をくぐり、まっすぐ南に足を進めます。
右手に見えているのは、二の丸の石垣。二の丸は、また後ほど回りましょう。
たくさん、幟(のぼり)が立っていますね。
書いてある文字は「二〇一六年 徳川吉宗公 将軍就任三百年」。そう、あの「暴れん坊将軍」吉宗は、もとは紀州藩・和歌山城の殿様だったのです!
テレビドラマの影響で、体育会系っぽいイメージが強い吉宗。しかし、享保(きょうほう)の改革を実施し、幕府の判例集とも言うべき『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』を編纂させたり、米価の統制に尽力したりと、真面目に政務に取り組んでいます。
あ、顔出しパネルだ。
殿さまのお顔の輪郭、顔出し穴と比べて大きすぎるから、顔を入れたら「地獄のミサワ」のキャラクターみたいになりそう(^_^;)
ここは、一中門(いちなかもん)跡の石垣。ここをくぐり抜けると、すぐに本丸です(写真は、くぐり抜けてから撮影しました)。
かつては、大きな櫓門が建っていたことでしょう。今は、精巧に積み上げられた石積みに、往年の雄姿を思い描くばかりです。
一中門を抜けると、本丸の石垣が見えます!
本丸の石垣は、天正13(1585)年に、豊臣秀吉の弟である羽柴秀長(はしば ひでなが)が築城した頃の石垣が残っています。自然石を切り出して、加工しないでそのまま積み上げた野面積み(のづらづみ)という技法です。石垣の勾配も緩やかです。
参考までに。こちらは、先ほど通過した一中門の石垣です。ぜんぜん違いますな。
丁寧に加工した石を、隙間なくピッチリと組み上げていますね。勾配もとても急です。当然、こちらの方が新しい時代の石垣。
以前に記事にした金沢城は「石垣の博物館」と言われていますが、和歌山城だって負けてはいないぞ!
さてさて、見えてきました。本丸・天守群に通じるルートが!
さぁ登るぜ!…と、いきたいところですが、その前に一カ所、先に見ておきたいところがあります。ひとまずスルーして、このまままっすぐ…
進行方向の左手に、櫓門(やぐらもん)が見えてきました。これが、お城の南東部の搦手(からめて。裏門のこと)を守る、岡口門(おかぐちもん)です!
この門は元和7(1621)年に建造されたもので、もともとは、ここが大手門(おおてもん。正面入口のこと)として使われていました。明治維新時の破却や、第二次世界大戦時の空襲を生き延びた、貴重な建造物です。
門を出て、お城の外からパシャリ。
江戸時代の絵図なんかを見ると、左手に見える石垣の上にも、かつては立派な櫓が建っていたようです。
岡口門から、もと来た道を引き返し、いざ本丸・天守群へ!
ご覧ください、そそり立つ高石垣を。
想像してください、この高石垣の上に堂々とした櫓がそびえ立つ姿を。
どんな感じだったんだろうなぁ(^_^)
この辺りには、岡中門(おかなかもん)が建っていました。堅固な守りだったことが、うかがえます。
岡中門跡を抜けて、本丸の東ふもとまで戻って参りました。
さぁ、登りましょう!
本丸・天守群に向かって登る坂道は、いくつか存在します。
この東から登っていくルートは、表坂(おもてざか)と言います。
最初のうちは、なだらかですが…
途中から傾斜は急になり、グネグネと入り組んでいきます。
ここから、スロープが設置されています。
この導線は、安土城の登城道を彷彿とさせる…
「このスロープは歩行困難な方を忍者がサポートして天守閣前広場までお連れするためのものです。」
とても素晴らしい試み。
和歌山城には、何人もの「おもてなし忍者」がひそんでいますが、中にはヘルパー資格の取得者もいて、車いすの方や高齢の方の登城をサポートしてくれるそうです。
現在、日本各地のお城で、ご当地の武将隊が活躍しています。しかし、このような「観光」と「バリアフリー」を両立させた取り組みをしているお城は、ここ和歌山城ぐらいではないでしょうか(^_^)
表坂を登り終えると、しばらく東西に細長く平坦な道が続きます。ここは、松の丸と呼ばれています。まっすぐ西に向かって歩きます。
ここで、観光ボランティアのおじさんと出会い(忍者ではありませんでした)、お城の歴史や石垣の種類について、たくさん話してくれました(^_^)
櫓台とおぼしき石垣が見えますね。
明治維新後、多くの建物を破却してしまったことは、本当に惜しいことです…。
ここの石垣を右に折れると、すぐに本丸ですよ!
天守群のエリアの東向かいに、ひときわ高い石垣があります。ここはかつて、本丸御殿が建っていたところで、現在は給水場として利用されています。
ボランティアさんによると、この石垣を登った地点が、イチオシのシャッターポイントだそうです。
給水場の石垣からパシャリ!
とてもステキな一枚が撮れました(^_^)
このゆるやかな坂を越えれば、いよいよ天守群…!
行って参ります!
(後編へ続く)
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