日本の城巡りブログ〜ぶらりBURARI〜

和歌山城 遠征(後編)

Pocket

 

(続き)

 

さぁ、天守群の建ち並ぶエリアに到着。ここは天守曲輪(てんしゅぐるわ)と呼ばれています。

 

 

ここで、和歌山城の歴史について説明しましょう。長くなりそうですが…

 

天正13(1585)年、豊臣秀吉の弟の羽柴秀長(はしば ひでなが)が、虎伏山(とらふすやま)にお城を築いたことが、全ての始まりでした。本丸や天守曲輪に見られる古い様式の石垣は、この頃のものです。なお、この時の築城には、城づくりの名人として知られる藤堂高虎(とうどう たかとら)が、関わっているそうです。

日本の支配者が豊臣氏から徳川氏に移ってからは、浅野氏が20年のあいだ領国を支配し、和歌山城の大規模な増築を行いました。

 

そして、元和5(1619)年に、徳川家康の十男の徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)が紀州に入国し、徳川御三家・紀州藩が成立しました。紀州藩からは、前編の記事で紹介した八代将軍・吉宗と、幕末に活躍した十四代将軍・家茂(いえもち)と、二人の将軍を輩出しています。

 

明治維新後も、天守群をはじめとする、いくつかの建物は破却をまぬがれました。しかし、第二次世界大戦中、昭和20(1945)年のアメリカ軍による空襲により、焼失してしまいました。

現在は、街のシンボルとして天守群がよみがえり、城域全体の調査・整備も進められています。

 

 

…やっぱり長くなっちゃった(^_^;)

 

 

さて、天守曲輪のすみの方に、詩人の西條八十(さいじょう やそ)が作詞した童謡『まりと殿さま』の歌碑が建っています。「てんてんてんまり てん手まり~♪」の唄ですね。

実は、『まりと殿さま』の5番に「紀州はよい国 日の光」と言う歌詞があるのです。それで、ここに歌碑があるのですね。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e29

 

大天守をバックにパシャリ!

写真は、おもてなし忍者さんが撮ってくれました(^_^)

とても気さくで、物腰のやわらかい、さわやか忍者さんでしたよ。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e30

 

手前の蔵?っぽい建物が、天守群見学のチケット売場です。

ですが、見学前に、天守群の回りをグルッと見てみましょう。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e31

 

おぉ、石落としがありますね!

ここから、攻め寄せてきた敵を攻撃するのです。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e32

 

石垣の黒色と、壁の漆喰の白色。そして、お空の青色。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e33

 

こちらに転用石が確認できます。

転用石とは、文字通り、もともとは五輪塔やお地蔵さんに使われていた石を、石垣の資材に転用したもので、安土城の石段でも見られます。この転用石は、かつては五輪塔の台座だったのではないでしょうか。

「なんて罰あたりな…」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、戦国時代の人達は、意外とドライ。大して気にしていなかったのではないでしょうか?

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e34

 

ひと回りして戻ってきたところで、入城しましょう。

天守群に入っていく、この立派な櫓門は、楠門(くすのきもん)と言います。ほかの天守群の建物同様、戦災焼失しましたが、昭和33(1958)年に復元。この楠門だけは、なぜか木造で復元されています。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e35

 

天守を中心に、複数の小天守や櫓を多門櫓(たもんやぐら。渡り廊下の役割を果たす。)などで環状に繋げた形式の天守を、連立式天守と言います。以前に紹介した松山城が、まさにそうですね。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e36

 

内側から見た大天守。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e37

 

こちらの小天守が入口になっています。さぁ、参ろうぞ!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e38

 

天守の内部は、歴史博物館になっており、紀州徳川家や紀州藩士の家に伝わった武具・文書・日用品…等々が展示されています。展示物の写真撮影も、一部はOK。ですが、ブログへの掲載は控えておきます。

大天守の最上階からの展望。気持ちいいですなぁ!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e39

 

大天守から西方面を望む。

こうして高い場所から見ると、いくつもの櫓が連結されている様子がハッキリと分かりますね!どこから攻められても、死角は無い!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e40

 

天守群の見学を終えたら、天守曲輪の南西にある新裏坂(しんうらさか)と言うルートを下っていきます。こちらのルートは、幅員が狭くて険しいためか、スロープ等の設置はありません。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e41

 

お城の南東には、南の丸が広がっていました。現在は、小さな動物園になっていて、地元の子ども達に親しまれています(^_^)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e42

 

一旦お城を出て、南の通りに出ます。

道路の向かいに見えるモダ~ンな建築物は、和歌山県立近代美術館です。平成6(1994)年に、世界的に有名な建築家である故・黒川紀章の設計で、完成しました。

なんと言うか、まぁ…まさに、「バブル時代の建築」と言う感じですなぁ…(^_^;)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e43

 

県立近代美術館の敷地から、天守を望みます。

モダンな照明(オブジェでもある?)との相性も、なかなか悪くありませんね(^_^)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e44

 

美術館内や周辺には、奇抜なオブジェや彫刻がいっぱい。

企画展も開催していましたが、常設展示(コレクション展)だけを鑑賞しました。

近現代の日本人画家による西洋画が中心でしたね。いくつか、シュールな作品も…

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e45

 

このガラス張りの建物は、和歌山県立博物館。県立近代美術館の奥に建っています。

こちらの建築も平成6(1994)年で、黒川紀章の設計です。

とても残念ながら、展示入替えのため、この日は休館でした(^_^;)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e46

 

県立近代美術館・県立博物館の前には、徳川吉宗の騎馬像が立っていました。

甲冑などは身につけていませんが、いかにも天下太平の世の名君といった、りりしいお姿です(^_^)

うしろの球体は、一体なに?

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e47

 

お城に戻り、まだ見ていない場所を引き続き見ていくことにします。

この赤色に塗られた門は、お城の西側の搦手(からめて。裏門のこと)にあたる追廻門(おいまわしもん)です。これも、前編で紹介した、東側の搦手・岡口門と同じく、江戸時代から残っている遺構です(^_^)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e48

 

門をくぐって、近くの石垣の写真を撮っていたときのことです。

「お、兄ちゃん。石垣、好きなんか?」

お散歩中のおじいさんに声をかけられました。

「はい、好きですね。いろんな形や積み方があって、面白いです。」

「そうか!よし、兄ちゃん。いいとこ案内したげるわ!」

とても気さくな方でした(^_^)

 

案内してもらったのは、門をくぐった地点から、やや南に進んだ場所。天守曲輪の西側に位置する、新裏坂の石垣です。お話によると、ここは17世紀初頭の浅野氏時代に築かれたもので、刻印が彫られた石がたくさん見られるとのことです

「石垣用の石を切り出した採石現場で、いくつものグループに分かれて作業をしてたんや。それで、グループ同士で石の取りあいの喧嘩にならんように、こうして印を付けて、区別しとったんやね。あ、これこれ。」

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e49

 

正方形を二つ重ねたマークだ!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e50

 

これは、シンプルに丸マークですね。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e51

 

これは三角形だね。

刻印がついた石は各地のお城の石垣で見られますが、一カ所にこれだけまとまって確認できるのは、珍しいのではないでしょうか。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e52

 

 

気さくでお話し好きのおじいさんと別れて、もと来た道を北に戻ります。ありがとう、おじいさん!

 

 

お城の北西部にある西の丸庭園を見学します。またの名を、紅葉渓庭園(もみじだにていえん)

州徳川家の藩祖・頼宣が築造した庭園で、江戸時代初期の庭園の姿を今に伝えています

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e53

 

西の丸庭園から、天守群を望む。

う~む、なかなか良いぞ。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e54

 

西の丸と、その東に位置する二の丸のあいだには、御橋廊下(おはしろうか)が架けられていました。作られたのは、徳川の時代。斜めに架かる廊下橋は、全国的にも非常に珍しいそうです

発掘調査の結果や、絵図史料、文献史料をもとに、平成18(2006)年に復元されました。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e55

 

どれ、通ってみよう。橋の中は土足厳禁です。

なるほど、ゆるやかな傾斜があります。これは面白い!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e56

 

御橋廊下を渡り終えると、大きな広場に出ます。二の丸です。

現在は、何も残っていませんが、かつてここには二の丸御殿がありました。紀州藩の政庁である表御殿や、殿さまの私邸である大奥がありました。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e57

 

ひととおり見学し終えたので、駅に戻ろうと思いますが、最後にちょっとだけ寄り道。

お城の東にある東内堀(ひがしうちぼり)越しに、天守を望みます。東内堀は和歌山城に残る最大の堀で、幅は約70メートル、長さは約490メートルにもなります。これだけ大きな堀は、なかなかお目にかかれません!

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e58

 

さぁ、駅前まで戻ってきたよ。

時間は14時半。いい加減、お腹ペコペコだ…。

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e59

 

駅ビル内の飲食店で、和歌山名物・中華そば(要はラーメンですね)を食べます。

う~む、空きっ腹には、たまりません(^_^)

%e5%92%8c%e6%ad%8c%e5%b1%b1%e5%9f%8e60

 

15時頃に電車に乗り、帰阪の途につきます。電車の中では寝ていました。家についたのは、18時前かな?

 

 

今回の和歌山城、「徳川御三家の居城の割には小さなお城」などと、馬鹿にしてはいけません!そりゃあ、同じ御三家の尾張徳川家の名古屋城の巨大天守や櫓群と比べると、さすがに見劣りしますが…

 

多様な石垣の種類。美しい西の丸庭園。バリアフリーに配慮した素晴らしい取り組み。見どころは、いくらでもあります。それに、ボランティアさんや地元のおじいさんとの、ふれあいを味わうことができたことは、何よりの収穫です(^_^)

またいつか、行ってみたいです!

 

<関連記事>和歌山城 遠征(前編)

 

↓ この記事があなたにとって少しでも役に立っていただけたなら…
~ぶらりBURARI,ぽちぽちPOCHIPOCHI~
ポチッッッッ!!と押していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村