日本の城巡りブログ〜ぶらりBURARI〜

小谷城 遠征(前編)

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登城日:2017年8月6日

 

滋賀県長浜市にある小谷城に登城しました。

ご存じ、織田信長に対して反旗を翻した、浅井長政の居城ですね。「こたに」でなく「おだに」と読みます。

かれこれ10年近くも前、学生時代に行ったきりなので、楽しみです(^_^)

 

お城見学は一人で出かけることも多いのですが、今回は、知人二人とともに僕の自動車で現地入りします。

待ち合わせ時間は10時半。JR彦根駅の西口にて。

ところがどっこい、「不測の事態に備えて…」と早めに出発したところ、思いのほか早く到着してしまいました(^_^;) 集合時間までに、一時間近くも余裕があるぞ。

 

 

せっかくだから、しばらく近場をドライブしようかい。

彦根の中心市街地のやや東の高台にある、天寧寺(てんねいじ)に行きます。


天寧寺の建立は、19世紀前半の文政年間(1818~1831年)です。

当時の彦根藩主である井伊直中(いい なおなか)が、自身の早とちりで手打ちにしてしまった女中を弔うために、建立したと言われています。女中さん、お気の毒に…

 

本堂と石庭。落ち着いた雰囲気ですね。


 

この建物は、仏殿(羅漢堂)です。この中には、彦根市指定文化財の五百羅漢像が安置されています。

羅漢(または阿羅漢)とは、自身の悟りを目指して修行に励む人のことを指し、おもに東南アジアで信仰される上座部仏教では、理想とされています。

仏殿の中には、様々なポーズ・表情の羅漢像がズラッと並び、圧倒されます(^_^) 意外と、ひょうきんでユーモラスな表情の像が多い感じです。知り合いに似た顔も、見つかるかも!?


 

天寧寺の境内から、彦根の市街地を臨みます。

この日は、とても気持ちよく晴れ渡っていました(^_^) おっ、遠くに彦根城の天守が見えるぞ。


 

天寧寺をあとにするも、まだ30分くらい時間があったので、今度は少し北に移動して、佐和山美術館に向かいます。


 

佐和山美術館。別名、佐和山遊園

ここは割と有名なB級スポットで、なんでも、石田三成をこよなく愛する地元の実業家の方が、自力で築いてしまった歴史テーマパーク?なのだとか。場所も、実際に佐和山城があったすぐ近くです。

こちらの施設、実質的には既に廃業状態で(あちこちに立入禁止の看板がある)、かなり老朽化も進行している様子。僕も、外回り周辺だけをウロウロしていました。

 

 

朱塗りの柱や欄干が、やたらとゴージャス?な正門。

案外、安土桃山時代の建築の雰囲気を、正しく伝えているのかも。

(もっとも、往年の佐和山城は、かなり質素なお城だったとも言われていますが。)


 

ホームメイド感が、実に良い味を出しています。日曜大工でここまでやれば、大したものでしょう。


 

佐和山城のミニチュア天守がありました。うしろの金屏風も、なかなかにゴージャス!


 

リアルサイズの模擬天守もありました。当然、立入禁止で、近づくこともできません。

どうやって作ったんだ、こんなの…。


 

…そうこうしているうちに、待ち合わせ時間が近づいてまいりました。さらば、佐和山遊園。

 

知人二人をJR彦根駅前で拾い、そこから北東方面に向けて、車を走らせます。

途中、スーパーマーケットで昼食を買いました。小谷城で食べるために、おにぎりや惣菜パンにしたよ。

 

 

12時過ぎに、小谷山の麓に到着。たいへん、のどかな風景です(^_^)


 

戦国時代には、このあたりも城下町でした。「呉服町」「小谷市場」「茶屋前」などの古い地名が残されています。きっと、多くの町家が建ち並んで賑わっていたことでしょう。浅井氏滅亡後、小谷城下町の住人の中には、羽柴秀吉が城下町を整備した長浜に移る者もあったようです。

 

 

この先に、小谷城戦国歴史資料館と無料駐車場があります。

駐車場がある場所は、清水谷といいます。ここは、小谷山の南西部に向けて口を開いた、開口部約180メートル・奥行約1キロメートルの細長い谷。ここに、浅井氏や家臣団の屋敷が築かれていたのです。


 

無料駐車場の付近。何やら戦国時代っぽい門が(^_^;)


 

公衆トイレ。思いっきり、仮設トイレだ。

 


お、仮設トイレの男性・女性の絵文字表示が、お殿様とお姫様になっていますね。

トイレボックス自体は、男女別になっているわけではないみたいですが…(^_^;)


 

小谷城戦国歴史資料館を見学します。

小谷城から出土した遺物や、浅井氏三代の歩みを紹介したパネル、小谷城全体を復元した精巧な模型などが、展示されていました。

館のボランティアの方も、とても丁寧に説明してくださいました(^_^)


 

12時50分。さぁ、いよいよ登城です!追手道というルートから攻めていきます。


 

険しい山道。これぞ山城!という感じですね(^_^) だけど、運動不足の身体には、こたえるなぁ…。


 

山腹の休憩エリアにて。

「美人が見ている!ゴミ捨て注意!」どこどこ!?どこに美人が!?

おそらく、当代随一の美貌の持ち主と言われた、浅井長政の正妻・お市の方のことでしょうか。


 

お市の方は、天文16(1547)年に、尾張国(現在の愛知県)の戦国大名・織田信秀の五女として生まれました。成長してからは、兄である信長の思惑で、近江国(現在の滋賀県)北部を支配する浅井長政のもとに嫁ぎます。長政との仲は睦まじかったようで、茶々の三人の娘をもうけますが、兄の信長と夫の長政が対立したことにより、苦しい立場に置かれます。

お市は、兄のもとには戻らず、夫とともに小谷城に籠城する道を選びました。天正元(1573)年、織田軍の猛攻により、ついに小谷城が落城。お市と三人の娘は、落城直前に信長の元に送り返されます。

小谷城落城から9年後の天正10(1582)年。再び運命の歯車が回りはじめます。織田氏の重臣・柴田勝家と再婚します。翌天正11(1583)年、信長亡きあとの実権を巡って、羽柴秀吉と柴田勝家が激突。戦いは秀吉が圧勝し、勝家は敗走しました。そして、居城である越前国(現在の福井県)の北ノ庄城に追いこまれた勝家は、お市とともに自害します。お市は37歳でした。

 

お市の三人の娘達は救出され、それぞれ波乱に満ちた生涯を送ります。2011年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』は、三女の江を軸に、三者三様の生き様を描いていました。江役は、上野樹里さん。

このドラマは、かなり「ファンタジー要素」が濃厚で、一部の歴史ファンからは評価がとても低い様子。僕も、「この描写は無いよなぁ」と感じる部分はあったりしましたが、意外に楽しめましたよ(^_^) ここ小谷城でも、ロケが行われました。

 

 

お話が長くなりましたね。

気がついたら13時20分。30分間、歩きに歩いて、ついに番所跡に到着しました!

向かって右手に、土塁の痕跡がうかがえます。

ここより先は、お城の中心部・主郭。重要な出入口です。浅井氏が小谷城を治めていた頃は、常にここに番兵が詰めていて、侵入者がいないか目を光らせていたことでしょう。


 

さぁ、いよいよ小谷城の主郭に突撃!

…と、いきたいところですが、長くなりそうなので、後編に続く!

 

 

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One thought on “小谷城 遠征(前編)

  1. 芹沢亀吉

    こんばんは。Twitterで相互フォローの亀吉です。貴ブログでコメントするのは初めてですね。

    小谷城跡行かれたんですか。十年くらい前に私も家族で行ったのですがその時は熊注意の看板が城に行く道の途中にあってそこで引きかえすことになったんで残念です。まあそのお陰で貴ブログで掲載されている写真が余計にありがたいのですが。

    佐和山美術館の建物や天寧寺の五百羅漢も面白そうです。