日本の城巡りブログ〜ぶらりBURARI〜

勝龍寺城 遠征

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登城日:2015年11月14日

今回ご紹介するのは、京都府長岡京市にある勝龍寺(しょうりゅうじ)
戦闘力の高そうな名前とは裏腹に、とても小さなお城です。

ですが、このお城では、様々な戦国歴史ドラマが、繰り広げられたのです

 

さて、タイトルには「遠征」とありますが、私は大阪に住んでいるのではっきり言って「近征」です。そんな言葉あるか知らんけど。
この日は、お城だけでなく、長岡京市内の観光地・歴史的な名所を、あちこち観て歩きました(^_^)

 

まず、午前中は、サントリーの京都ビール工場を見学です。

長岡京市のお隣の大山崎町にも、サントリーのウイスキー蒸留所がありますが、こちらは施設改修のため、見学の予約は入れられなかったです。
JR長岡京駅から、巡回シャトルバスに乗って、工場に向かいます。一日中ず~~っと雨模様だったのが、残念…

勝龍寺城1

ガイドのお姉さんが、ビール作りの工程を説明しながら、ルートを案内してくれます。いや~興味深い!
工場の中は写真撮影OKだったけど、ここでの掲載は控えます。

 

ビール工場見学のあとは、お楽しみの試飲タイム(^_^)
作りたてのビールは、おいしかったよ!でも、下戸なんだよなぁ…オイラ。

勝龍寺城2

巨大ビール。ガブグビ~~

勝龍寺城3

 

家族へのおみやげに、ビールとおつまみセットを買いました(^_^)
余り行ったことなかったけれど、工場見学も楽しいものですね!

 

巡回バスで阪急の西山天王山駅まで送ってもらいます。西山天王山駅から一駅、長岡天神駅に到着。
近くのレストランで軽く昼食を摂り、長岡天満宮を見学します。雨が、ますます激しくなってきたな…

勝龍寺城4

 

長岡天満宮は、学問の神様として知られている菅原道真(すがわらのみちざね)を祀っている神社です。

道真は9世紀後半~10世紀初頭の時期の政治家・文人です。たいへん頭の切れる優秀な人物でしたが、藤原氏の策謀により九州に左遷されました。
長岡天満宮は、道真が都を離れるのを名残り惜しんだ地に建てられたと言われています

勝龍寺城5

 

境内にある紅葉庭園「錦景苑(きんけいえん)」を見学。雨にぬれて、色みの鮮やかな木々。心が落ち着く空間です。(紅葉には、まだちょっと早かったかな?)

勝龍寺城6

 

朱塗りが美しい本殿。意外と新しく、昭和16(1941)年の建築です。

勝龍寺城7

 

さぁ…いよいよ今日の真打ち登場!勝龍寺城に向かいます!
天満宮を出て、南に南に足を進めます。JR長岡京駅が見えてきたよ。

勝龍寺城8

 

JR長岡京駅越えて、さらに南に少し進み、「ガラシャ通り」という広い通りを西に向かって10分ほど歩くと…着きました!勝龍寺城です!

勝龍寺城9

 

勝龍寺城が築かれたのは、応仁の乱の頃。15世紀後半です。

その後、織田信長に従った細川藤孝(ふじたか)が、永禄11(1568)年に入城します。天正6(1578)年に、藤孝の嫡男・忠興(ただおき)と明智珠(たま。後の細川ガラシャ)の婚礼が、勝龍寺城にて執り行われます
本能寺の変の後、明智光秀羽柴秀吉が雌雄を決した天王山の戦いにおいて、明智側の城として利用されます。敗れた光秀は、いったん勝龍寺城に逃げ延びますが、すぐに脱出します。
勝龍寺城は、17世紀の初頭(江戸時代の最初の方)に、廃城となりました。その後、荒れるにまかせていましたが、昭和63(1988)年から発掘調査が行われ、平成4(1992)年に勝龍寺城公園として整備・オープンしました(^_^)

 

 

堀が土塁をグルッと巡っています。(のぼり)が、はためいているね。この幟は、長岡京ガラシャ祭のために設置されたのかな?
長岡京ガラシャ祭とは、毎年11月の第2週に開催される、歴史系のイベントです。細川忠興とガラシャの婚礼を再現したパレードが知られています。僕が見学したのは、残念ながら一週間あとだった…(>_<)

勝龍寺城10

 

本丸の南西に位置する、南門です。

勝龍寺城11

 

たいへん立派な門構え。…ですが、戦国時代当時の勝龍寺城は、ここまでカッコよくはなかったんじゃないかな(^_^;)

もっともっと荒々しく泥臭い、「戦国の世のお城」だったはずです

勝龍寺城12

 

近世城郭を模した外観の管理棟。二階では、勝龍寺城跡から出土した遺物を展示しています。屋根瓦とか。勝龍寺城は、部分的にではありますが、石垣や瓦屋根と言った当時の最先端の技術が使われていたことが分かっています

勝龍寺城13

 

本丸の中は、庭園として整備され、市民の憩いの空間として親しまれております。

勝龍寺城14

 

細川忠興と、夫人・ガラシャの像。

勝龍寺城15

 

細川ガラシャは、明智光秀の娘です。父・光秀が本能寺の変を起こし、その後の天王山の戦いで敗れたのち、「反逆者の娘」として2年ほど幽閉されてしまいます。許されて大坂で暮らすようになってから、キリスト教の信仰に目ざめて、敬虔なキリシタンとなりました。

慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の際に、石田三成の手によって人質にされそうになりますが、徳川家康側につく夫・忠興の迷惑にならないよう、自ら命を絶ちました。ものすごい波乱万丈の人生だ…
ガラシャを扱った文学作品としては、三浦綾子の『細川ガラシャ夫人』が有名ですが、

僕は敢えて、山田風太郎の短編『忍法ガラシャの棺』推します。作中では、「性的欲求不満を抱えた更年期の女性」としての姿が描かれています。これも人間の一面なんだろうけど…ガラシャのファンの人達に叱られるよね(^_^;)

ちくま文庫から出ている『忍法聖千姫 山田風太郎忍法帖短篇全集9』に収録されています。

 

本丸の南東隅には、櫓を模した休憩所が設けられています。

勝龍寺城16

 

東側から撮影。

勝龍寺城17

 

本丸北東に位置する北門跡。発掘調査の結果、高さ2メートル以上の石垣があったことが分かっています。なかなか立派な門だったみたい。

勝龍寺城18

 

北門は、防御を重視して、L字型の構造をしていました。攻め込もうとしても、簡単には本丸に突入できず、今度は左に折れなければならない…というわけ。

勝龍寺城19

 

この広場は、本丸の北西に位置する沼田丸跡。沼田丸と本丸は、堀で隔てられており、橋で連絡していたと考えられています。

現在、本丸と沼田丸のあいだの堀は復元されていません。
勝龍寺城は、堀と土塁で囲まれた方形の本丸と、北側に張り出した沼田丸から成る、単純な構造のお城だったのです。

勝龍寺城20

 

勝龍寺城をあとにして…まだ明るいので、もう少し西の方に足を伸ばし、恵解山古墳に向かいます。恵解山…この漢字、読めるかな?読めねーだろぉな~。「いげのやま」と読みます。
脳内BGMはもちろん、レキシの『古墳へGO!』(^_^) レキシの曲は、マジでオススメだぞ。

勝龍寺城21

 

恵解山古墳は、古墳時代中期(5世紀前半)に築かれた、全長128メートルにも及ぶ巨大な前方後円墳です。平成26(2014)年に、史跡公園として整備され、オープンしました。
奥の方に埴輪が見えるぞ。

勝龍寺城22

 

ずら~っと並んだ円筒埴輪(えんとうはにわ)。古代の祭祀の場ですね。

勝龍寺城23

 

凄い!葺石(ふきいし)まで復元されているなんて…

勝龍寺城24

 

古墳の前方部からは、鉄剣鉄鏃(てつぞく)などの鉄製武具が大量に出土しています。被葬者はおそらく、武人的な性格の大豪族だったのでしょう。

勝龍寺城25

 

もと来た道をもどり…JR長岡京駅まで戻ってきたのは、17時頃でしょうか。辺りはすっかり真っ暗です。
駅前にある恵文社バンビオ店は、非常にオシャレで落ち着いた雰囲気の本屋さんです!選書のセンスも◎(にじゅうまる)!人文系・デザイン系の書籍が、充実しているよ!

勝龍寺城26

 

帰宅したのは、19時前?非常に充実した一日でした(^_^)
今回は、お城以外の名所や史跡をあちこち巡り、長岡京に根づく歴史・産業を学ぶことができました!特に、勝龍寺城と恵解山古墳は、歴史の息吹を全身で体感できるような、素晴らしい整備が魅力です!
もちろん、今回見学できなかった場所も沢山ある。それに、特産品のタケノコ料理も、今回は見送った(^_^;)大阪から近いので、またいつか再訪しまっす!

 

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